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えいがきのえいが【90年代生まれ視点の映画レビュー】

90年代生まれ視点の映画レビュー 当ブログは個人的な意見をバカ正直に綴ったもので、映画の品質を保証するものでもありません。映画を否定しても、その映画に関わった人物を否定しているのではありません。例え人をバカにしても、それはその人を尊重した上での行為です。

最近の洋画って売り方がおかしい気がしない?

 最近の洋画の売り方って、アニメ実写問わず、なんか変じゃないですか?なんか気持ち悪くないですか?なんか気分悪くないですか?

 例えば、とあるアクション映画に、邦画界の大物アクション俳優が来たとします。そこでこんなコメント、「この映画はアクション映画の中でもトップクラスのハデさだよ。若い頃の私にそっくりだ。あの頃を思い出して血が騒いだよ」と。
個人的にこういうのがものすごい引っかかるんです。アクション映画に限らず、どんな映画にもコメントには大体「自分と重ね合わせて~」とか「ド派手なエンターテイメントで~」とか。そういうのって正直何が言いたいんだって気がしませんか?
 別に個人的な意見を主張するってのはいいですし(現に私が今してます)、全く関係ないタレントを宣伝に使うのも数百歩譲ってギリギリ許せます。ただ、あんなにも(このブログような)簡素で雑な、中身の無い感想を、よくもまあ映画の宣伝に使えるなとはよく思います。結局のところ、上記の感想だと「アクション」にしか触れてないし、第一こんな感想は観てなくてもいくらでも言えます。途中から自分のこと話してますしね。
 そりゃあ台本があって、その人の本当の言葉じゃないことくらいは分かるけど、その台本こそしっかり練っていないから、こういうマイナスな感覚になるんじゃないですかね。

 考えてみると、こういう意味の解らない宣伝って、誰に向けてるんでしょうか?映画ファンではないのは見え見えです。じゃあ何なのでしょうか。きっと映画離れしつつある若者に向けてるんでしょうね。若者の誰もが知ってる有名人を呼んで、みんなをそれで釣って観てもらうと…。もしもそれが効果的だとしても、結局はその作品はそれ自体の評価をされるのではなく、「有名人が面白いと言ったから面白い」という何ともあやふやなことを言われるだけなんじゃないでしょうか。
 そう考えると、結局日本の映画会社が洋画を輸入したとしても、その地点でキャストの意志というものは綺麗に取り除かれているって解釈が生まれてしまいます。  配給元とキャストの意見が食い違うのは当たり前ですし、美を求めるキャストに対し、配給元は収益を求めているという目茶苦茶な関係があることも分かっています。しかし、そういう『目茶苦茶な関係』をお互いに尊重し合うことで生まれる、『金のなる美』こそ映画なんです(何言ってんだこいつ)。それは海外で公開する際にも変わらず、吹き替え・その国なりの文化や解釈をキャスト(特に監督や脚本)と共にしっかりと組み立てていき、キャストの意志を損なわない(害わない)ようにするべきなんです(ホントに何言ってんだこいつ)

 私は、少なくとも全く関係のない人を呼んで全く面白くない感想を言わせるよりも、その作品に関係した人が熱意をもって志を語ってくれた方が、断然観たくなりますし、それこそ映画が芸術であることを、再び人々に知ってもらえるきっかけになるのではないでしょうか。
 それに、若者の映画離れというものは、意味不明な宣伝が原因です。ただでさえバカ高い映画代を、面白いかどうかも分からない映画に払うのもおかしなハナシですし、もはや美術として扱われていない美術作品を観るようなバカなことをする人はほとんどいません(ほとんどというのは、ほとんどじゃない中に自分がいるから)

 映画は芸術、芸術を作ることで配給元は潤い、時には枯れる。私は、世の中には様々な芸術があるものの、映画は数少ない『目茶苦茶な関係』の中で生まれる芸術なのだと考えている。それは現在ではボロボロに崩れ、『目茶苦茶な関係』であるのには変わらずとも、一方的に配給元が芸術というものを抑制してしまい、もはや映画という芸術は消えつつある。名作が生まれても、それが原因でそう語られることが無い。キャプテン・アメリカ2もそうだし、TEDもアメイジングスパイダーマンもそう。変な宣伝こそが客足を減らし、配給元への不信任は深まるばかり。こんな環境で映画を造れと言われても、私は絶対に嫌だ。




ごめん、まともな作品例が出てこなかった。