えいがきのえいが【90年代生まれ視点の映画レビュー】

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キング・オブ・モンスター!戦後たった9年で公開された怪獣映画の金字塔、「ゴジラ」

 1954年、日本=特撮技術というイメージを確立し、60年以上たってもなお"怪獣"としてのカテゴリの頂点に立つあの
ゴジラ」を、今回は紹介していきます。

 私が怪獣映画というものにハマったのは、いわゆるミレミアムシリーズと呼ばれるゴジラの世代であり、私にとっての「ゴジラ」は、細身で口はシャープで、でかい直立の爬虫類というイメージが強かったです。よって、幼少のころの私は、昔の昭和チックなクリクリな目で大きな口のゴジラは受け入れ難かったのです(キンゴジと平成ゴジラは好きだったが)。それの流れ弾で1,2作目のゴジラもずっと触れ難いものになっていました

 ある時、あまりにも「これが観たい!」という映画が見つからなかったとき、ゴジラが好きなのに彼(?)に対する偏見を持っているということに気付きました。その矛盾をどうにかしようと、今作をレンタルすることにしました。
 ゴジラの第一作目が、キングコングと並び今なお特撮の金字塔として称えられていることも、特撮に留まらず、あらゆる作品の発端となっていることも知っています。しかし、こういう「名作」というレッテルを意識してしまうと、どんなに酷い映画でも良いように映ってしまうと考えています。私は頭を空にして観ました。つまり、無知の状態に限りなく近い状態になって観たわけです。

 私は映画は好きですが、観た数を考えるとまだまだ素人です。素人であるから、一度素人なりに全体の感想を言ってしまおうと思います。
 今作は終戦からたった9年で作り上げた映画であるのに、この特撮技術やストーリーは見物でした。終盤は常に鳥肌が立ち、ラストにはゴジラアイデンティティと人間のエゴイズムに関して、深く考えさせられました。
 素人の私がこう簡潔に言ってしまうと「なめてんのか」と思われるかもしれません。しかし、私は少なくとも他の映画ファンが上手く表現されていることを思って、こういうしょうもない感想を書いたんだと思います。

 今作の魅力は一つに絞ることは不可能です。そりゃあ特撮は断トツでハンパないです。しかし、それだけに留まらず、ヒューマンドラマやメッセージ性も強いため、ただ単に「特撮がスゴイ」だけでは済みません。
 最近の特撮は、どれもこれも映像美がどうの、CGがこうのばかりです。まぁそれも大切ではありますが、最近の特撮はそれに着目しすぎて、それ以外の要素があまり良くない、酷い時にはクッソつまんない(例えば98年公開して、本家に10秒で倒された奴のアレとか)を作ってしまいがちではないでしょうか。
 もちろん気持ちは分かります。だって、表現と中身をどちらも重視なんてとてつもない労力と時間、お金がかかりますし、第一に、片方を完成させるともう片方が疎かになってしまうのが人間です。今作を作った方々が天才なだけなんです。でも、そろそろそんな天才が出てきてもいいんじゃないかな・・・?

 とりあえず、今作は特撮作品なので、中身よりも表現について触れていきたいと思います。
 今作は特撮映画でありながら、とても娯楽作とは言えません。見たらわかります。怪獣が出てきてワーとなって、驚異的な兵器や作戦で見事怪獣をやっつける。これが娯楽作とします。一方今作は、焦らして焦らしてムクっとゴジラが登場。待ってましたと思えばものすごく恐ろしい描写が始まります。その後、怪獣映画お決まりの都市上陸をしますが、こっからの絶望感はハンパない。放射熱線をまき散らし、町を一気に火の海に。自衛隊の攻撃なんぞ全く効きません。ただ映るのは町が破壊されては燃え、人々絶望のままに死んでいく姿。まさに生きる核兵器、なんて怖いんだこりゃあ。
 そしてゴジラは海へと潜り、芹沢博士の恐るべき兵器によってゴジラは欠片なく消滅するのですが、一つ違和感を感じないでしょうか。

なぜゴジラは死して人を襲った責任を果たさなければならなったのか?

 考えてください。ゴジラはもともと深海に住み着いていました。しかし、そこに人間が介入し、水爆実験を始めたことで、ゴジラは住処を奪われてしまいます。そして偶然人と出くわし、たまたま襲ってしまったのです。
 そんなゴジラを攻撃し、おまけに命まで奪ってしまったのが人間です。
 はたしてゴジラに責任はあるのでしょうか。いいえ、ありません。ゴジラアイデンティティを奪った人間のエゴこそが罪なのです。
 これは戦争を表現しているのではないでしょうか。例えばA国とB国が戦争を始めるとして、A国が発端となります。A国はB国を攻撃し、多くの犠牲を出して行きます。戦争は激化、B国は抵抗を始めるも、時はすでに遅し、B国はついに敗戦します。そこで問題、この戦争の責任者はではどこの国となるでしょう?正解はもちろん敗戦国です。そういうことです。人間はA国、ゴジラはB国です。さらに言うと、人間のエゴはアメリカ、ゴジラアイデンティティは日本です(でもゴジラ核兵器みたいなもんだから、ある意味アメリカでもある)。

 こうやって社会問題を生物として具現化し、人々に恐怖を抱かせた上で、その社会問題についてを伝えるというのは、海外アニメのサウスパークのように、「社会問題を皮肉ることで訴えかける」というのと同等の効果があると思います。
 しかし、最近ではこのいずれもタブー視され、唯一何も言われないのはクソ真面目にアレはダメこれはダメ、こんだけの人が差別されてるだの言うこと。これに何の意味があるのか、今作を見ればしみじみと分かってくると思います。
 「古き良き時代」だなんて信じやしませんが、こういう面に限っては今作のように、しっかりと恐怖を植え付けて伝えるべきです。

 こんなカンジで考えさせられる映画でした。



 ところで、結構惨い表現のはだしのゲンってえこひいきされてるよね。




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